園長の野良日記  2009年 10月

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  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかし
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。

  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。
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2009年10月16日(金)
アメリカだけが、アメリカではない
 大草原の『小さな家の料理本』
   ローラ・インガルス一家の物語から    文化出版局1980.12.20
   著者:バーバラ・M・ウォーター/訳者:本間千枝子・こだまともこ
月曜日は 洗濯
火曜日は アイロンかけ
水曜日は つくろいもの
木曜日は バター作り
金曜日は 掃除
土曜日は オーブン仕事
日曜日は 休息日
  このようなアメリカもあった、いまあるかどうか、知らん。
『大草原の小さな家』ほか
1867年に生まれたローラ・インガルスが子供時代、 -ぺピンからカンザス州南端へ、さらにミネソタ州のウォルナット・グローブからシルバーレイク、サウス・ダコタ、そしてサウス・ダコタのドゥ・スメットまで。-p13- 日本でいう明治維新の頃のアメリカもあった、を綴った。そこからその中の料理を再現した本。
  一品:Pound Cake  p236 どうかお読みください

ナッツを使った料理を探したが時間切れ。バイの実は、油分が多くカヤ油が採れる。ピスタチオに似る、また胡桃にも。写真のバイの実は炒ったもの、癖になり病み付きになるが1合升一杯を食べればニキビが吹き出そうでもある。

  幸せではないか、THE STRANGER/BLLYJOEL/1977/CBS SONY 25AP843で始まった朝は。
『大草原の小さな家』の訳本は、福音館書店、岩波書店、角川書店、講談社文庫がある。訳者の癖が出ていてお好みの訳本をお求めください。
2009年10月14日(水)
気分はもう夏

#2 Pop-Eyed Salesman p53
気分はもう戦争/矢作俊彦・大友克洋/双葉社-1982.1,24

これが、これであるのは確信的だ。それを問題にしたら核心を外す。

  それで、取り置いていたが引越しのたびに消えるレコードと雑誌と一緒にpopaye NO.49も消えていた。

  それでもこの76年6月に創刊されたポパイはこのころには調子を落としていた。最後のキャッチがこの「気分はもう夏」だったのではなかろうか。VANも前後して潰れた。

  改めて日付を確認してみて、なあんだ80年代突入の両作品だったんだ、気分は70年代前半だったが。79年ソ連のアフガニスタン侵攻は新しい戦争の始まりであった。今、同じ反革命をアメリカがイラク、アフガニスタンで、戦争のキャッチフレーズは違うが変わらぬ魂、変わらぬ根性でやっている。



ジョン・ウエインが死んだのもこの頃。
続けえ アメリカ魂を見せてやれェ
神とともにあらんことを!!


ここでページを変えようかと思ったが、読者サービス精神溢れる私は、続ける。

     # 1 AROUND THE LINE p35


no.49/'79.2.25
他紙がまだ銀世界特集だった2月に「サーフイン、ハワイ」だったから、衝撃だったんだろう。

その後、気分は,,,,,,,常套句となった

#6 TAKE ⑥ TRIAN p191
矢作が好きなフレーズがとっちらかっている

忘れるな ゴロウスギウラ 忘れるな
何んで  俺の名前だからさ



←#2 Pop-Eyed Salesman p56
入らない青春 古い青春ございましたら
ちり紙 トイレットペーパーとお取りかえしております
  と。




あれも戦争 これも戦争
どこで死ぬかぐれーは手前の趣味を通して

#5 Monkey Suits p129









←#13 気分はもう次の戦争 p326
こう見えたって昭和三十年の生まれだぜ!
人から言われて戦争なんかできるかよ
やりてェときにやりてェ場所でやって!
やめてェときに やめるんだよ
ネームを取り上げた。こっちのほうが楽しいのだが大友克洋の彼たらしめる描画は割愛した。
「童夢」を読んでください、思う存分たのしんでますから。

  『アキラ』では、壮大だが彼の欠点、腰砕けが目立つ。ヘリからの俯瞰は凄い。「俺たちャァ、健康優良不良少年だい!」がキメ。
気分はもう戦争/矢作俊彦・大友克洋/双葉社-1982.1,24
#11 Monkey's Allowance  p272
人生をエンジョイできなかった
お父さん達の歌はヤメロッていってんだろー

なんでエンジョイできなかったのよォ
あの世代は戦争ひとつ
満足に楽しめなかったんだぞ
第一 場所をわきまえなよ
2009年10月13日(火)
新しい船を漕ぎ出すのは 新しい水夫だろう

吉田拓郎の「イメージの詩」から

古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船を、いま動かせるのは古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も 新しい船のように 新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ
新しい海の怖さを

  古い水夫の出番じゃないさ。判ってない人のほうが多い。古い船と共に沈んでしまいなさい。
  新しい海に出て行くのは、新しい船と新しい水夫だろう。人は無鉄砲というかもしれないが怖さを覚えた古い水夫の繰言だ。昔とった杵柄はもう役立たない、染み込んだ手垢が怖くなって震えたその腕を押さえつけているではないか。

  我々が生きている現在は、いくつもの時代が同時進行しているものだ。古い時代を生きている人が時に時代の先端にいるような錯覚をするものさ。新しい時代を生きている人も、その生き方の規範を見出せないままに、古い時代を真似てしまう。さあどちらを信じる。それはあなた次第。

  クモはいつも下を向いている。食事もまた下向いて。

2009年10月9日(金)
貴族趣味には辟易するよな
  異議なし、と言ってくれ

  オバマがノーベル平和賞?左手で引き金引きながら、右手で平和?

  「平和」まで戦争の道具にしようとするのか。そのような「平和」はいらない。
  核の傘、大きければその下は広い。じくじくと台風の去った畑にキノコが生えた。アフガニスタンは、「世界」の果てか。ヨーロッパ貴族が与える勲章にまだ神通力があると思うのは勝手だが、勝手がまかり通れば道理がへっこむ。

  台風ショックはキノコのリリーサーを動かした、雨後のキノコ。

  プラグマチズムが吹き荒れて、アメリカは何処へ行く?



            気分はもう戦争/矢作俊彦・大友克洋/双葉社-1982.1,24 p35
            舵をとり 風上に向く者/矢作俊彦/光文社-1986.5.31
2009年10月8日(木)
橋本治と養老孟司,,,,,,
  橋本治と養老孟司と、、、、、。この二人の東大出は、東大出である共通項はあるがその扱われ方はかように違うのである。「よくわかんないから面白い」橋本治と、「面白いから紹介したい」養老孟司と、、、、。それで橋本治の本は一緒に楽しめるのである。かたや養老孟司はこういう見方もあるのかと、、、、。
  共に難解なのだが、入り方判り方さえ判っていれば難解に苦渋しないですむんですけど。「判ってしまった」からスタートして本を書き始める二人は、理解されるかどうかには頓着していないんですね、実は。こういう判り方は如何って言ってるんです、二人とも。
  出口が違う。ばっかじゃないあきれる橋本治は「あきれられる」という方法論がありますよという。その先に「あきれる」と「あきれられる」とは違いますよと。
  「面白いから紹介したい」養老孟司は一時期大学入試の問題によく出た。答えが一つしかない問題は、「傾向と対策」の格好の標的になってすぐ平均値周辺に点数が集まってばらけない、採点はできても団子なので切り捨てラインが混みあってしまう。その点いくつでも答えのある問題は、出題者の意図通りに採点ができる。だから出題しやすい。なのですが、「答えと一緒に問題を取り出す力」がバカとバカ以外を区別するという養老孟司は「答え」を問題にはしていない。「問題を取り出す力」を問題にしている。私なりに言えば「問題を課題にする力」なんですけど。
  それは問題だ、とんでもない問題だという人に「何が問題なんですか」と尋ねてみよう、たいがいは「それが判れば苦労はしない」って応えますよ。「ばっかじゃない」とあきれるしかないですね。課題だから答えも見つかっているんですけど。

  冒頭に、共通項はあるがその扱われ方はかように違うと書いた。扱われ方ですから、私の扱い方とは違いますね、当然。扱われ方とは、世間の扱い方です。私には私の扱い方がある。
07 October, 2009 空芯菜
2009年10月7日(水)
米原市水田農業ビジョン 産地確立計画書,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
  策定 平成19年4月   変更 平成21年4月
米原市水田農業ビジョン 産地確立計画書【総合版】
(目標年度:平成24年度)
             平成21年度 米原市水田農業推進協議会
--------奥付無し----著者不詳・発行者不詳・発行日不詳・連絡先不詳

  10月に入って、これが米原市広報などと一緒に配布された。何をかいわん。

上司は思いつきでものを言う   橋本 治
             集英社新書/2004年4月21日初刷

バカの壁          養老 孟司
             新潮新書/2003年4月10日初刷

  感想文や解説をしようというのではない。だから著者について述べようとは思わない。
  2冊の書籍は、何故1冊目のようなものが出版されるのか、その日本的背景を理解する一助になる。
  無論、橋本治や養老孟司の本を読む人なら上記の本米原市水田農業ビジョン 産地確立計画書【総合版】など著述、監修・発行には係らない。揶揄される対象にはならないということ。

  内容の無内容さとは。ひたすら国や県の交付金・助成金の受け皿になるため形振りを構わずやっつけた仕事であるのは見え見え。
  うまくやってる人は、この中にいて以外の人は眼中にないのね、とはこのような利権欲得とは無縁かお相伴にあずかれぬ人たちのつぶやき。
  したがって、上の冊子米原市水田農業ビジョン 産地確立計画書【総合版】に係る人は外部に責任をとろうとしない。文書に残るのが怖い人たちが書き上げ、仲間うち以外からの声、意見、申し出から逃れようとしている。としか思えない。

  このように日本農政は、末端ですら何億の金を、このような人たちに託すのである。太郎君、一郎君、あなたたちの思いとおりに進行している利権の再編成・再分配。
2009年10月6日(火)
La revolution dans la revolution ?
  「革命の中の革命La revolution dans la revolution ?」レジス・ドブレから引用したが、最近のドブレを知りたくてネット検索してみた。

最近のレジス・ドブレ http://www.kanshin.com/keyword/902808 、
読本テクスト紹介 Regis Debray La Republique expliquee a ma fille, ed. du Seuil 1998 http://www.nulptyx.com/french_debray.html
の二つでまずはいいだろう。

  本は絶版になっているようだ。67年に出版され70年に読んだ本だ。ということはだ、この「革命の中の革命」、ドブレ、そして読んだ私に対して、読んでから物申す人はいねえだろうと、、、


  引用したのは【雑誌「現代農業」から】pageに。
2009年10月5日(月)
革命的どんぶり勘定
  革命なのか反革命なのか、そのような問題ではない。
  1個の実が1.19g。どんぶり、皿、一合升いづれも同じ量目が入っている。どれが一番お徳か。

  デジタル秤は0.01g単位で計量できる。ホールド機能がついていないので、。09と、08gをいったりきたりする。これが上皿天秤だと揺れて中々静止する目方ではない。0.01gの粉を計量する場合は、左右に揺れる針が同じ振れ幅になった辺りでえいっと決める。デジタルがすっきりきっちり見えるのは誤差を切り捨てたり四捨五入した結果しかみせないから。話はこのような話でもない。
  どんぶり、皿、1合升に入った実はいずれも体積で量った。目分量ではない。どんぶりでもない、1合升で量った。
  豆や木の実は体積で量る。そのときの計量容器は升、そしてかようにてんこ盛りで何杯と計る。つまりアバウトのようだ、きっちり者にはそう見える。
  しかし実際に計ってみよう。「おっちゃん、いくらや。もっと入るで」とてんこ盛り、「3杯やな」と袋に移してもおばはんは手に握り締めて「これおまけや」などと勝手に袋に入れよる。きっちり者ではないおばはんは量り売りの天敵なのだ。
  どんぶりにいれるとこうはいかない。「えらいすくないんやない」と端から押し込んでくる。見た目が大事。

  これをおはら野農園のSHOPに載せようとする。たちまち多方面から人気が出る。まずJIS法に違反する、メートル法に違反する、商取引・度量衛に疑義が生じる云々。
  早い話が升は「量り」と認めてもらえないのである。

  かように、バイの実は売るに難しい。ちなみにバイはチャボガヤと呼ぶ地域もある。
私はバイの実を1合升で量り売りしたい
2009年10月4日(日)
地面のクモの巣

  どこにでもいて、トラクターで耕しているとクモの子を散らすように地面から湧き出てきて散っていく。
  翌朝、早くもこのように巣が再生されている。

  秋の田お越しから、早春の田んぼに多く見られる風景。とくに朝は露が降りていて真綿を引いたように見える。

2009年10月3日(土)
今宵は芋名月、、ぼうや、いい子だ寝んねしな

  ススキにサトイモ、芋名月と云う。
  秋祭りの片付けに行ってきた。提灯、幟の片付けだけだ。すっかり時代が変わって在所の祭りはその程度にしょぼくなった。

  中秋の名月を芋名月とは、風情があるではないか。サトイモをもらったので、今夜は煮っ転がしとなる。晴れ上がっていたからいい月を拝めるだろう。

   ぼうや、いい子だ寝んねしな

  そんなふうにおはら野の宵をめでる

2009年10月1日(木)
バラン、さてどう料理しようか
  バランを切ってきた。

  ネットで検索すると、葉蘭の販売・育て方、弁当の仕切りプラスチックなどがズラズラ並ぶ。ブログでは庭のハランで、作ってみたとは、市民権はプラ製品にあるようだ。

  弁当・惣菜屋にしてみれば、生の葉を刻んで食中毒のリスクを増やすより腐らないプラのほうがよいのかもしれない。一部の寿司屋と小料理店の細工物でしかなくなったのかもしれない。

  中山間地の産業振興・特産品として産地化などが試みられてもいるようだ。しかし、農政的、行政的、研究者的思い付きの域を出ていない。
もってのほかバラン